“最近勝ち組とか負け組みとか流行っているけど、スタート切っているかどうかがぼくは大事だと思うけどね”— 矢沢永吉 - Wikipedia (via takaakik) (via dannnao) (via kml) (via gkojax)
2009-08-11 (via gkojay) (via gkojax) (via gkojay)
“学生の時、英語を教えてくれていた外国人の先生に、好きな日本のテレビ番組を聞いたら「笑点。カラフルな着物を着た老人たちがクッションを奪い合う。しかも話術で!もう最高!毎週見てるよ!」って言ってたのを急に思い出した”— 牛人 さんはTwitterを使っています (via quotation2)
“萌え業界に新旋風を巻き起こした「らめぇ・・・!」というセリフ。言わずもがな「だめ」というセリフをのっぴきならない状況の女の子が発することで舌足らずになったものだが、日本の萌え文化を忠実に再現する英語圏のオタクがこれをどう訳したかというと”Ron’t…!”。この再現性に感動した”—
Twitter / @hamikkuri (via katoyuu)
うわ、いいなこれ
使いたいわ 使えないけど
(via edohime)
“ペリーの日本遠征に随行した画家の「下田の公衆浴場」という絵には、全裸の男女が秘所を隠すこともなく混浴の浴場でくつろぐ様子が描かれている。若 年や中年の男女が多いが、誰も互いの裸体に欲情していないし、恥ずかしさも感じていないことがみてとれる。この絵を見たアメリカ人は日本人を「淫猥な人た ちだ」といい、フランス人は「日本人に羞恥心はない」といい、オランダ人は「男女の性別を気にしていない」といって驚き、そして軽蔑した。 150年前の日本では「男女が無分別に入り乱れて、互いの裸体を気にしないでいる」のは普通だったのだ。江戸時代の日本人にとって、裸体は顔の延長のようなものであり、現代人の我々がスッピンの顔を見られても恥ずかしくないように、裸を見られても平気だった。 江戸時代の日本人がいかに裸に対しておおらかだったか、具体的な記録から明らかにされる。若い娘が道端で裸で行水をしているのを見て度肝を抜かれた 外国人の日記や、坂本竜馬が妻(お龍)と男の友人の3人で京都の混浴浴場へ出かけた記録など、現代人の感覚とはかなり異なる意識が常識だったことがよくわ かる。 ところが開国によって西洋文明の視線にさらされたとき、明治政府はこの風習を西洋に劣るものとして改めなければならないと考えて「裸体禁止令」を法律で定めた。また登場したばかりの写真技術が裸体を日常品の裸から、鑑賞の対象物としての「ハダカ」へ移行させた。 「明治政府によって強制的に隠された裸体こそが「見るなの座敷」であった。そしてこれが正しいとすると、神話や昔話が説くように、隠された裸体は覗 きたくなり、やがて約束は破られる───。明治から現代に至る日本人の裸体は、まさに神話や昔話と同じストーリーをたどることになる。」 隠されれば見たくなる。そしてハダカは性と結びつき欲望の対象へと変化した。見られる方も、隠すことが常識になった途端、人前にさらすのが恥ずかし くなる。それまでのオープンさの反動のように、明治の日本政府は裸体に対して敏感になり、禁止や検閲を厳しくする。人々の意識は大きく変容し、明治も26 年にもなると画家 黒田清輝が女性の水浴びを描いた「朝妝」が風紀を乱すものとして物議をかもした。政府ではなくメディアと世論が裸体画に異を唱えていた のだ。 性が再び解放された現代でもアダルトビデオでは秘所をモザイクで隠している。そもそもハダカが商品になること自体が、この明治政府の西洋化政策の影 響の延長にあるといえるだろう。私たちは、異性のハダカに欲情してしまうことを、自然の摂理だと思いがちだが、実はこの日本においては、つい150年前ま ではそうではなかったという意外な事実がわかる啓発的な本だ。ハダカヘの欲情は文化発祥なのだ。”— 裸はいつから恥ずかしくなったか―日本人の羞恥心 - 情報考学 Passion For The Future (via ssbt) (via gilthazami) (via uessai-text) (via harunoriyukamu) (via hexe) (via shinoddddd, shinoddddd) (via yasaiitame, yasaiitame) (via yaruo, yaruo) (via toutiku-m44, toutiku-m44) (via yasaiitame)
“765 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2011/10/30(日) 23:10:56.44 実家で飼ってた猫が、外から友達を連れてくる様になった 真っ黒いうちのヤツと真っ白な友達がじゃれたり、遊んだり、 並んでご飯食べたりしてる光景はなかなか和めた でもその白いの、なにげに毛並みもいい感じだし、そもそも 首輪付けてるしってんで、これは野良では無いと思った俺は、 白猫の飼主に届く様にその首輪に手紙をくくりつけた 文章はどう書いたか忘れたけど、まあこんな感じの内容 「可愛い白猫が遊びに来てくれて家の者が癒されてます」 「うちで○○というエサを食べて帰りました」 「うちのが遊びにいって粗相をしてたらゴメンナサイ」 しばらくして、今度は外から帰ってきたうちのヤツの首輪に、 こんな感じの手紙がくくりつけられていた 「素敵な黒猫さん、お行儀がよいので大丈夫です」 「うちであげてるご飯と好みが一緒ですね」 オマエ外ではお行儀良いの?借りてきた猫とはまさにこの事? とか、猫と遊びながら読んだ手紙が俺と嫁さんの最初の会話 その後、動物病院で初対面して一目惚れ”— 首輪に手紙をくくりつけた 続・妄想的日常 (via eternityscape)
“475 名前: 可尓必思(catv?):2008/08/23(土) 20:30:02.14 ID:EcLNySp/0 うんこがそのまま肥料になると勘違いしてる人へ、うんこ博士の俺がいい事を教えてやる。 うんこはそのままでは肥料にはならない。なぜなら、栄養となる有機物の結合が強かったり、 粒が大きすぎて吸収できないためだ。そこでうんこを乾燥させて粉砕するというアイデアが 出るわけだが、単にうんこを粉砕しただけでは作物がうんこを栄養として利用できるだけの 有機分解はされておらず肥料として機能しない。それどころか粉砕したうんこをすぐ土に混 ぜると土中でさらなる分解がはじまり、うんこから炭酸ガスが発生したりうんこに害虫がよ ってきて作物をダメにしてしまう。 んじゃどうするのかっていうと、うんこに微生物を混ぜて発酵させて有機物分解を行う。 うんこ、骨粉、灰などから作られる肥料は有機質肥料に分類され、ぼかし肥料とも呼ばれる。 うんこを有機質肥料にするためには発酵による熟成が非常に重要で、うんこの発酵の良し悪 しがそのまま肥料としての質を決めるといっても過言ではない。この発酵がまた難しい。う んこに微生物をまぜてもなかなか繁殖してくれず、熟成に時間がかかる。そこで機械によっ てうんこを加熱して微生物の活動を活発にして発酵を加速させる。ただしうんこに投入した 微生物の種類によって最適な温度が変わるので、何も考えずにうんこを加熱すると逆に微生 物が死滅しかねない。このように、発酵のカギを握る微生物はうんこで繁殖する割には結構 デリケートで、温度管理の他に酸素濃度管理や水分管理などを必要とする。 近年はうんこを早く良い有機質肥料へと熟成させる手法が考案されているが、それでも限界 がある。熟成期間は1日や1週間など論外で、前述のようなうんこを適切に管理した環境下で もおよそ25~30日は発酵させる必要がある。間違ってもこの熟成期間中にうんこの追加投入 を行ってはいけない。古いうんこと新しいうんこの有機質の分解度合がバラバラになり品質 が大きく低下してしまうからだ。これがトイレをそのまま肥料工場にできない大きな理由の 一つと言えよう。”
“昭和天皇はフルーツサンドイッチが好きで、時々、宮内庁のコックさんに 頼んで作ってもらっていたらしい。 あるとき、陛下がそれを召し上がろうとして、周りの人たちがかしこまって それを拝見しているのに気づいてコックさんにお付きの人たちの分も 作るようにおっしゃったんだって。みんなにフルーツサンドイッチが渡った ところを確認してから、それからやっと陛下も召し上がった。 それでみんなが食べてるのをニコニコしながら見て「みんなで食べるとおいしいね。」 っておっしゃったんだって。”—
No.9032 フルーツサンドイッチ - コピペ運動会 (via yummuu)
読んでたら、京都のヤオイソのフルーツサンドが食べたくなった。甘酸っぱい優しい味がいいんだよなぁ。
(via cielbleucielbleu)
(viatokori)(via gkojax-text, gkojax-text)
(via lovecake)
“人は、相手の行動を見てその人を判断する。そして、イラッとしたり、「この人と合わない」「この人、うっとうしい」と、思ったりする。 わたしも、同じだった。 でも、これからは、「行動の裏には、その人の価値観がある」 ということを知っていなければ、人間関係がうまくいかないことをわかっていたほうがいい。 逆にそのことをわかっていると、ごきげんでいられる。 そのことを私に教えてくれたのが、講師仲間でふだんは商社で働くサラリーマン、アンディ中村さんだった。 企業の人たちと話していると、よくこんな話題になる。「最近の若い子たちは、メール一本で『会社を辞めます』って言うんだよなあ。かんべんしてほしいよ」「なんでもメールで済まそうとしてほしくないよなあ」 わたしも、「そのとおり」だと思って同感していた。 でも、アンディ中村さんは違った。「彼らは、悪気も何もないよ。それが当たり前だと思っているよ」「どうして?」「だって、彼らは、就職活動で必死でエントリーシート書いて、企業の会社説明会に行って、がんばってアプローチしても、メール1本で落とされる経験をしているんだから。メール1本で休んだり、会社を辞めることが悪いことだと思うはずないじゃないですか」 目からウロコだった。 原因は、わたしたちオトナが作っていた。 そんな視点で見ると、いろいろ納得していなかったことが、納得できるようになっていた。 たとえば、近所にステキな飲食店ができていて、若手メンバーに、「あんなところにあんな店ができているよ」 と、盛り上げるつもりで言ったにもかかわらず、「でも、大谷さん、そこ、食べログで2.8ですよ」 と、言われて、ムカッときたことがあった。 アンディ中村さんの言葉を聞いて以降、若手メンバーが、なぜそんなことを言うかも理解できるようになった。 平成生まれのメンバーは、生まれた時からパソコンも携帯もあった。比較検討が当たり前だった。 そして、彼らの価値観には、「大谷さんは、盛り上がっているけれど、その店に行ってみたら、従業員の態度が悪いかもしれないし、美味しくないかもしれない。行ってから、大谷さんの不機嫌な顔を見るの嫌だよなあ」 という感情が働いていた。 それが理解できると、コミュニケーションのとり方も変わってくる。「ねえ、あそこの店、美味しいかどうかわからないし、従業員の態度が悪いかどうかもわからないけれど、冒険してみょうよ」 という誘い方になる。 そんな話をしていたら、ある幼稚園の先生が言った。「そのとおりよ。それがわかっていなければ、間違って、子どもを叱ることになるんですよ」「どういうこと?」 思わず聞き返した。 彼女が言うには、「幼稚園の子どもたちが、トイレを流さないの。だから『トイレを流しなさい』と、怒っていたのよ。でも、子どもたちは、キョトンとしているの。そして、ある子どもが言ったの。『どうして流れないの?』って」 その時、彼女は、初めて気づいたらしい。「この子たちのマンションのトイレは、自動的に流れるんだ」ということを。 実際、彼女のマンションのトイレも自動で流れていた。「なのに、わたし、気づいてなかったんだよね。子どもたちにとっては、その世界しか知らないということを。反省だわ」 今は、トイレの流し方を子どもたちに教えているらしい。 わかっているようで、わかっていない人の価値観。 これからは、楽しく「人の価値観」も研究していきたい。”

